書きたいことざっくりと(仮)

妻社長、オレ従業員、子1人、犬一匹。

会社辞めました。

2/28日付で退職した。
最終日まで通常業務をしていたからなのか
辞めた実感がまだ湧いてこない。
勤続は1年と10ヶ月。
短い期間たったが色々なことを考えさせられた会社だった。
会社としては経営も安定しているし
待遇も悪くはなく離職率も低い。
部長クラスに新卒入社して現在に至るという人間がゴロゴロいる。
謂わゆる居心地が良い会社なのだと思う、人によっては。
でも自分にはどんな絶叫マシンよりも恐ろしく
ホラー映画よりも気味が悪かった。
周囲を見渡せば仕事をしている風な人間がほとんどで能力云々のレベルでは無い。
毎日誰かの噂や陰口を聞き
長年改善が図れていない非効率的な
社内の事務処理に苦悩する。
業務改善提案をすれど検討するつもりすら無い。

人それぞれ見てるもの視えているもの感じているものが当然違うわけなのだから文句は無いのだけれども
「もっとこうしたら良くなるかも」とか
「こうしたらどうなるだろう」というように
日々を良くしようと思わずにいられるのだろうと不思議に感じた。
とりあえず自分の居場所では無かったと知ることが出来たと同時に「負」を振り撒かない人になろうと思った。

今日から新しいステージのスタートだ。
欲張らず、焦らずまずは一つずつ一歩ずつ
上へ前へ進めれば良い。

「ヒャダイン」より「ブリザガ」

なんのこっちゃわからないタイトルだが

前山田健一は関係無い。

要するにドラクエとFFを絡めた内容なので

こんな感じ。


皆さんはどちら派だっただろうか。


子供の頃私は何となく周りと自分の違いを

感じてて「みんな」とは

合わないな〜

わからないな〜

と心の中でよく思っていた。


それは時にとても心細く不安にさえ

感じていた。


小学生のある日のこと

仲の良い数人で来年のカレンダーの

話をしていた。

「5」のカレンダー買った?

という内容の話だった。

「5」とはその当時リリースされたばかりのゲームソフト「ドラゴンクエスト5」である。

私も「買ったよ〜」と答えた。


しかし私は「ファイナルファンタジー5

のことだと思っていた。

ご存知の方は理解出来るだろうが

同じRPGゲームであってもベクトルが異なる2作品なのである。


 ドラクエのイラスト、キャラデザは

言わずとと知れた鳥山明

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FFは天野喜孝

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シールが付いててとかモンスターの話から

すぐにFFではないことを理解した。

誰が考えても小学生が買うのは

圧倒的にドラクエだろう。

売る側の立場になって考えてみても

FFの天野喜孝カレンダーは小学生を

ターゲットにはしてないことが想像できる。


しかし私には天野喜孝の方が魅力的だった。


でも当時はそういうことがとても恥ずかしく

時にひどく落ち込んだりもした。


だから理解出来ない周囲を必死に観察し

傾向と対策を立てて

興味ないもの

共感し難いものを追いかけた。


そしていつしか主語が「私」ではなく

「みんな」になっていた。


そんな自分に嫌気がさして

「何でいつも私は…」なんて思っていたけれどもそんな自分も唯一無二の「私」であって

他人の過去や話など往々にして

人は覚えていないし聞いてもいないもので

結局のところ楽しさに夢中になったものが

勝者なわけで。


何にでも理由や名前をつけることに

意味は無く可視化させてしまえば

何となく理解出来るような気がするだけ。


飲み会の酩酊も然り

若さゆえの過ちも然り

名分が与えられてしまえば

許されてしまうもので…

そう考えると世の中は意外と許しに

満ち溢れているのだなと思う。


お金って…

〇〇屋さんになりたいわけではなく

単純に人の手助けとなることがしたい。

そしてその先にある出逢いであったり

可能性であったりに興味があり

欲しているのだと最近思う。


単純にお金が欲しいということにしても

お金とは謂わゆる利他的行動の対価である。

要するに他者に対して施した行動の感謝のカタチということ。


「イヤイヤ、それだけじゃないでしょ?」


とこの考えに納得いかない人もいるかもしれないが、そのアンチ精神こそがこの構図を成り立たせている歯車の一つであるのではないだろうか。

より多くの対価、感謝を得ようというのであれば新たな創造が必ず必要となる。

先人の築いたものをトレースするだけでは

感謝に満たず対価を得難い。

そのため無から有、不便を便利に

1を2になど何らかの変化を施すわけである。


「こんなものはおかしい、もっとこうすれば」と先人達に対し尊敬と否定を繰り返し

自分というフィルターを介して新たな価値を創造するということ。

このプロセスが人の心を揺さぶり感動を呼ぶのだと思う。


とにかく今回も思いのままに

大して時間もかけず書き殴った独り言だが

コレだって今までに読んだ本や

様々なメディアからの受け売りに過ぎず

人によればパクリなのだろう。

だが一応は自分の中で噛み砕いて味わい

思考したのちのアウトプットである。


パクリ、トレース

敢えて言おうアレンジ、オマージュであると。


ともあれ10人いれば10人が違う遺伝子なわけで当然考え方も違うはずである。

だからこそパクるなんて行為は勿体無い以外の何物でも無い。

とりあえずアイデンティティを大切にしたいと思う。



iPhone7が早くも逝きました。

標題の通りだが突然目を覚まさなくなった。

落としたわけでも水没したわけでもなく

ただそこに置いていただけである。

ほんの数分前まではアプリやらスケジュールやらLINEやらと多大な恩恵を与えてくれていたというのに今はただの少しかっこいいアルミに過ぎない。


当然、修理という考えに至り

まずは回線キャリアであるSoftbankへ問い合わせた。

結果としては対応出来ないということだった。

この件に関してはあまりに対応に納得がいかなかったため後日改めて吐き出そうと思う。


とりあえず今の時代にモバイル端末が

無いというのは何かと不便だし

迷惑をかけることもあるほどだ。


応急処置として以前使っていたiPhone5に最低限の機能をバックアップから移し使用することにしたのだが基本的な携帯電話としての機能にLINEとSafariを加わえた程度なので

極端に触る機会が減った。


これまで移動中や暇な時に特に必要では無く言わば惰性でスマホに触れていた時間が長かった。

しかし人間というものは何かを失うと

他の何かでその損失を補おうとするもので

それが今回は良い気付きや刺激を与えてくれた。

それが今回は本と解放的感覚である。


まずは家にあるものを読み

次に気になっていたものを買いまた読む。

そして時には何もせず景色なり音なりを

楽しむことにした。


結果としてそれは予想以上に楽しく

充実感を得られた。


如何に携帯端末に縛られていたか

そしてそれによって数ある楽しいことを

見逃していたかを認識した。


とは言え修理から戻ってきてしまった今

私は再び起きた瞬間から触っているのでした。



人生の断捨離

「オレはやりたいことがないから日々疑問なく生きられてる。」

これは私の退職を知った同僚の言葉である。

これまでの投稿でも書いたが私は今、

とある会社に勤めており色々な

思い、気付き、目標を胸に退職を決断したところである。

私は一つの目標として両親の望む大手企業で

働くというものがありそれを去年の4月に叶えたばかりである。

私はそもそも美容師として社会に出て理想と現実のギャップに打ちのめされリタイアした人間である。

 


私は昔から一つのことを極めんとしてきた人間を疎ましく、そして後ろめたく思っていた。

それは自分には無いもので、それが出来ない人間は無価値だと思っていたからだろう。

実際昔から飽き性な性格で継続することが苦手で親からも「続かない子」となんとなしによく言われてきた。


また大なり小なり他人に迷惑をかけては

反省し自分を戒め模範や常識を心掛けた。



単純に褒められたかっただけなのだ。


自分のやりたいことをやっても褒められないからひたすらに自分自身を否定し周囲に馴染むことに努めた。



その結果、生きている意味すらわからなくなった。

歳を重ねるにつれ現実となりたい自分との

ギャップに対応出来なくなってきた。


そこで私は自分の人生の断捨離をすることを

にした。

まず死ななければオッケー

生きていければオッケーというテーマで

切り捨てていくことにした。


車、家、服、見栄、プライド、評価、過去などなど資産価値のあるものから内面的なものまで色々と出てきた。



要するに他者に依存したり比較したりというものが大半を占めていた。

そしてその出てきたキーワード一つ一つを

紐解いていったところ今の会社を退職するということに至った。



結局、最終的に自分に大切で必要なものは

「家族」と「笑顔」だった。

今までやりたいとも思っていない、好きな絵柄でもないパズルを解いていたが

それがわかった今自分は単純にもう一度新しいパズルを解いていけば良いのだけだと理解した。

あなたの人生は楽しいですか?

最近楽しいとか待ち遠しいというような

いわゆるワクワクというものを

感じることが少なくなった。

それを数人に聞いてみたところ

ある人は「大人になると新鮮と思うものが

無くなってくるから」と言う。

またある人は「そんなもんだよ」と考えることすら放棄しているかのように無関心な反応をする。


本当にそうなのか?


少なくとも自分の周りにはキラキラと眩しいくらいに輝いている人達がいる。

その本人たちはもしかしたらそうは思っていないかもしれないが間違いなく

上記のような回答は返ってこないことは容易に想像が出来た。


私自身ももっと先へ上へと努力し勝ち得てきたと思っていた。

ちなみに今現在、私が勤めている会社は

私の人生の中でも安定性、待遇面(給与、休暇、昇給)、社風…どれをとっても最高ランクであり文句や不満は無い。

当然上を見ればキリが無いが私にとっては一つの集大成と言っても過言では無い結果を得たと思っていた。


それは大きな企業に勤められれば

安定や安心が得られ整った環境の中で仕事が出来ると思っていたからである。

何とも他力本願で抽象的な考えだろう。

そして蓋を開けて見れば悲劇に近い衝撃を受けた。

誰も彼も目的意識など無くただただその日をやり過ごす。

自分に与えられている業務ですら理解しておらず「みんなそうやっているから」「今までそうやってきたから」という非人間的な地獄のルーティンだった。


私の会社にはCS課というものがある。

「CS」いわゆるカスタマーサティスファクションの略語であり顧客満足のことである。

先日そのCS課の課長と話をしていた時のことである。

何気なくCSの意味について聞いてみたところ「カスタマーセンターかな〜?

とりあえずお客さんの一時窓口って感じだね」と言っていた…私は色々と愕然とした。

センターの頭文字は「C」であるし

CSは決してそんな仕事では無いしあってはいけないはずだ。

ましてや課の長であるお前がそんなことでは

絶対に良いはずがない。


大きな組織というのは往々にしてそんなものなのかもしれないと思ったらアホらしくなってしまった。

もちろんそれは人それぞれで組織も様々だとは思う。


しかし私は同時にまったく興味を持っておらず楽しいと思っていない仕事だということに気づいてしまった。


楽しいと思えることから目を背け

正しいかもわからない常識に囚われ

ただただ日々を浪費し精神を消耗し

そのうちに楽しいと思えることすら

わからなくなった。


話は少し逸れるが私は子供の頃から「根性が無い」「やり遂げられない」「考えが浅い」などとよく言われていた。

別に他人に迷惑を掛けていなければ問題無いとは思っていたが自分の選択によって他人が不快になるということがあるということを理解した。

楽しそうだからという理由だけで行動することは確かに短絡的過ぎるかもしれないが

果たして悪いことだろうか。

少なくとも私の周りには今そのように言う人は少ない。

人生一度きりなどと言う大義名分ではなく

素直に自分のため人のためになることがしたい。

そういった精神の中で少しずつでも

良い花が咲く豊かな土壌を作っていけたら良いと思う。


そしてまた多くの楽しいを感じたいと思う。


普通、常識とはなんでしょう?

仕事とは一体何のためにするのか。
食べるため、生き甲斐、それは人それぞれ

好きなことを仕事にするとつまらなくなる。
仕事は楽しいものではない。
などと言う人は多く私も今まで親、友人、先生と
ありとあらゆる人から聞かされてきた。

本当はこれがやりたいのに…と思っていたことすら忘れすっかりと「常識」や「普通」というものに洗脳されていた。

歳を重ね、結婚をし家を買い子供が産まれた。
世間一般的な人間としての信用を手に入れるほどに
自分の人生を生きられなくなっていった。

今の会社は何のために選んだのかと考えた時に
自分のためというものが何一つ無かった。
ただ単純に一般的な知名度や待遇、ブラックか否かくらいであった。
別にやりたいことでもなく出来ることの中から
上記の条件に当てはめて採用されたところに
行っただけ。

それでもこの会社で何か成し得たいと
業務外の営業活動や新規事業提案など
日々奮闘し周囲や上司からは
「良くやってくれている」「頼りになる」と
評価も上々で1年で役職も得たし昇給もした。
でも大して満足感は無かった。
むしろこの先、何十年とこれが繰り返されるのかと
恐怖すら覚えた。
何ら疑問に思わない人もいるのだろうけど
それは自分が本当に行きたい場所を知らないだけ。
何と無くでもいい、

「石橋を叩いても渡らない会社」
「今までこうだった」
「みんなこうやっているから」という考えのみで
働いている社員…

なんと気持ち悪いことか。

仕事は別に難しくはない。
もちろん大変なことや辛いことらはあるが
一つ一つ経験や顧客ニーズに基づき処理していけば良いだけ。
新たな試みや感動は必要とされていない。

今更だが人生とは楽しんだもの勝ちなのである。

楽しんでいれば芽が出ない時間も苦にはならないはずなのだ。
今までそれを味わったことがあるはずなのに忘れていた。
時間も忘れて没頭していたものがあったことを。
お金や年齢の問題は生きる上で重要だが
それに翻弄され精神を病んだり道を見失うなど
あってはやらないはずなのだ。

十人十色だというのに
何故に万人は隣と同じことをしたがるのか。
幸せとはやはり単純に笑い合える事だろうと思う。

そういうものが普通や常識であればと思う。