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書きたいことざっくりと(仮)

妻社長、オレ会社員、子1人、犬一匹。幸せを探し中

強迫気味の夫とADDの妻

私は常日頃からこの罪悪感の上に生きている。

と言っても正確には罪悪感と形容して良い感情なのかはわからないが後ろめたいということは確かな気がする。

過去がどうとかということはさて置き

自分自身が些細と思うことですら

それを抱かずにはいられない。

我々夫婦間においても度々議題に上がっており例えるならば何かを妻にお願いをして

自分が座っているという何ら疑問にも思わない状況ですら落ち着かない

単純な話、自分でやらずに人にやらせているということが後ろめたいのだ。

また自分が出来ることは万人が当然のように出来ることであると思っているためどこにいても何をしていても評価を得られる行動に執着してしまい安らぎが得られないのである。要するに極端に自己評価が低くヒエラルキー最下層の奴隷のような心境なのである。

そしてやるべきと思っているものが多いがために周囲を見渡すと無限にタスクが広がっている。

故に何に関しても先廻りで行動し実行するという行動が染みついており疲れていようが

気がついた時には動いている。

もうそれこそパブロフの犬である。

そのため疲労が溜まりピークに達すると

名作フランダースの犬のネロのように

「もう僕疲れたよ」と倒れるのだ。

今の時代、掃除機ですら自ら充電しにいくというのに逆行も甚だしい。

妻にはとてつもなく迷惑な話でありどうにかしたいと思っている。


そして話はその妻のことに変わるが

妻は「ADD」である。

https://welq.jp/37124

「ADD」つまり注意欠陥障害のことで代表的な症状としては注意散漫、無秩序、多動、不注意、物忘れが多いなどでタイプが6種類ほどある。

調べてみると妻はその中で「基本タイプ」ではないかと思う。

そのADDだが本人も私も今までそうでは無いかと疑ってはいたものの確証が得られていなかった。

この病気は一見するとただの怠惰や変わり者のようであるが似て全く否なるものであった。

それを実感した出来事として2人でリビングの引出し収納を整理していた時である。

私は書類やら文房具やら子供の製作物やらが混在した引出しをまず全て空の状態にするために全て床の上に拡げ仕分けをしていた。

すると妻は頻りに「待って」というのである。

私は何を待ってほしいのかわからずに聞いてみたところ「何をどのように分けているかがわからない」というのだ。

私は仕分けの方法については当然

「家の関係書はこの山」「子供のものはこの山」「私のものはこの山」に置いていってほしい旨を説明しながら進めていた。

しかし妻は何をすれば良いかがわからなくなって動けないというのだ。

私には逆に何を言っているのかわからなかった。

私は散乱している書類などを見て

何度言っても片付けられない家を思い出し

ハッとなった。


こういう現象が起こっているとかと

何かが繋がった感覚を覚えた。

それは我々夫婦の間にそびえ立つ「分かり合えない」という静かで冷たく大きな障壁を破壊した時だった。


「またやれてない」「また忘れてる」などと思うたびに私自身のタスクが増えたと気に病み、努力出来ない妻に対して

不真面目さを感じていたが解放された。


理解とは自身をも救う術なのだと改めて知った。



このブログはそもそも自己救済のため

鬱憤を吐き出す目的で作ったもので

思ったこと書きたいことを何でも綴ろうというのがコンセプトである。

がしかしこの記事に関しては純粋に多くの人に読んでもらいたいと思っているため追々もう少し見やすくそして肉付けしていければ良いと思っている。